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「菖蒲の根合(あやめのねあわせ)」の始まり

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「菖蒲の根合(あやめのねあわせ)」の始まり
 菖蒲を集めて、その優劣を競い、和歌を詠んで興ずる遊びを言う。このことが文献に登場するのは『扶桑略記』の後冷泉天皇のくだりに「永承六年(1051)五月端午日、殿上侍臣、左右相分(あいわかれ)菖蒲合事有り、和歌五首」とあるのが始まりで、平安時代に行われていたことが判る。
 当時は、5月5日に百草を闘(たたか)わして戯(たわむ)れる風習があって、これを「薬日」と言い、薬草で薬玉を作り、贈り物にしたり、薬草を戸口に掛けて毒気を避けるまじないにした。
 なお、『俳諧歳時記』の「菖蒲の根合」(菖蒲合わせ、根合わせ)の項には「年浪草」よりの校注として「和歌にながき根とよめるは、あやめの事也。根のながきものにて、永承六年五月五日にあやめの根合といふ事あり。其の式、歌合わせの如し。左の根一丈一尺、右の根一丈二尺のよし、古今著聞集に見えたり。是は後冷泉院の御時なり。また郁方門院の根合などいへる事は、八雲御抄にも載せ玉うにや」とあり、さらに「季題解説」の項には「中古我国禁中に於て行はせられし行事にして、扶桑略記、古今著聞集等に其事見ゆ。菖蒲は「長き根」と称し、古来其根を貴び、支那にては殊に一寸九節のものを良しとせり。内裏に行はせられし菖蒲合せは、その根の長き方を以て勝ちとせり」とある。ほかに、薬草の條(くだり)については「菖蒲葺()く」の項に、参考として『西宮記』を引き「五月五日菖蒲を屋根に葺くことは、天平五年以来見えてゐる事である。西宮記に「五月四日夜主殿寮内裏殿舎菖蒲を葺く」ともある如く、その後は古来諸説紛々で、閑窓瑣談には「軒に菖蒲を葺くは何の為ぞ。此の日より盛夏になりて毒蟲多く生じ人家に入らむとする故、軒端に蓬菖蒲その他蟲を除くべき草木を軒に葺く事也。菖蒲に限りしものにはあらず。然れば古歌にも菖蒲葺・蓬葺・棟葺とあり。凡そ五月五日の水草は諸の毒蟲を除き去る効能多し」と説明してある。妖霊悪鬼をはらう為に毒蟲除けの菖蒲を屋根にふいてこれが禍(わざわい)を未然に防いだものである。同様の意味から樗(ちょ)の葉を屋根に葺く所あり、これを樗葺くと言ひ、また陸奥には菖蒲なきため花がつみ(真菰の花)を代用して屋根に葺くのであるが、之をがつみ葺くと言ふ」と書いてある。
 その当時は別にこれと言った面白い遊びもなかったので、こうしたのんびりしたことを行っていたのである。
 
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菖蒲
画像の出典:ウィキペディア

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