「歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)」の話
江戸時代後期の天保11年(1840)に、七世市川団十郎(白猿)が初代団十郎の百九十年忌に勧進帳を上演した時、元禄期から市川家に代々伝わっている特色ある荒事式芸風の狂言曲目十八種を撰び、それを歌舞伎十八番と名付けて家の芸としたのが始まりである。それは、勧進帳、矢の根、助六、鳴神(なるかみ)、暫(しばらく)、不動、景清、解脱(げだつ)、象引、鎌髭(かまひげ)、毛抜、不破、関羽、七つ面、外郎売(ういろううり)、押戻、蛇柳、嬲(うわなり)の十八種であるが、その中でも不動、蛇柳、嬲(うわなり)は名ばかりで、今日においては戯曲の形としては存在していない。また、外郎売(ういろううり)は助六の中に、押戻は道成寺の中に含まれてしまった。
そして、現在では十八番と言えば、その人の得意とする芸を意味するようになっている。
なお、十八番を「おはこ」というのは、市川家の歌舞伎十八番の台本を箱に入れて保存したことから転じた言葉であるという。