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Channel: 原始人の見聞
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「多産(たさん)」の話

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「多産(たさん)」の話
 人間は一度にどれほど多くの胎児を分娩することが出来るか? 日本の文献では『続日本紀』の慶雲3年(706)のくだりに「山背(やましろ)国相楽(さがら)郡の女鴨首形名(かものおびかたな)六児を産す。初め二男を産み、つぎに二女を産み、のちに二男を産す。その初産の二男は詔(みことのり)あって大舎人(おおとねり:宮中の職員)となす」とある。これは奈良時代における新記録である。
 江戸時代になると『元禄宝永珍話』の中に5日間にわたって6人の男女を産んだ多産婦のことが載っている。すなわち、「宝永二年(1705)二月、京極縫殿領分、讃岐那珂郡丸亀の城下農人町、廣島屋茂右衛門(歳三十九)女房(歳三十三)、当月二十二日暁より同二十七日夜九つ時までに六人出産。二月二十三日暁七つ時(午前4時頃)女子一人、同二十四日夜四つ時(午後10時頃)男子一人、同二十六日昼八つ時(午後2時頃)女子一人、同日夜九つ時(午後12時頃)女子一人、同二十七日昼八つ時(午後2時頃)形しかと不知一人、同日夜九つ時(午後12時頃)同断(同様)。右六人の内、最初出産の女子男子二人存命、残り四人は相果て(死亡)申し候。二月二十八日昼九つ時(午前12時頃)包衣(胎盤など)二つ下る。同日暮六つ時(午後5時頃) 包衣二つ下る。同日夜九つ時(午後12時頃) 包衣二つ下る。右女房産後相煩(あいわずら)い、三月四日相果て申し候」とある。結局6人の内、生存したのは2人で、4人の子と母親は死亡してしまった。
 女性が一生にどれほどの子供が産めるのか、日本では常磐津浄瑠璃の『子宝三番』に「身共こそ福者である。そのなかにも子福者にて子供十三人持ち候」とあるように、子供が13人あれば子福者と言われたものである。しかし、西洋では1901年に、ベルリンで41歳の婦人が23人の子供を産んだとあり、ウイーンの医者ベルゲルの報告には、45歳の婦人が結婚してから30回妊娠して36人の子を産み、そのうち28人は出産児で、4回は双胎、1回は3胎であったという。これに対し、大正14(1925)に大阪朝日新聞が調査した日本人の多産計を見ると、17人の子を産んだ夫婦は4組、16人の子を産んだ夫婦は1組、15人の子を産んだ夫婦は7組となっている。

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