「膣の開口手術(ちつのかいこうしゅじゅつ)」の始まり
伝説の小野小町のように、膣欠損症という可哀相な不具者は楽しい恋愛の喜びにひたることも出来ないで、寂しく社会の隅で一生を過ごしてきたのであるが、近代にいたってこれを治す手術は色々試みられてきたが、皆失敗してしまった。
ところが、昭和27年(1952)4月に昭和医科大学婦人科長藤井吉助博士が、ある女性の開口手術を行い、日本において最初の成功をおさめた。
その手術は、閉ざされた部分を十字に切開し、そこに4片の扁平上皮細胞を挿入して内部を延展させ、そのほか直径3㎝長さ8㎝のプラスチックの棒などを使用したが、手術は30分で終わり、その後3週間の入院で全快したという。
これについて藤井博士は「扁平上皮細胞の延展力がついたことが成功の元であった。もちろん子宮がないから子供は出来ない。括約筋はあったから緊張度は普通であって、試験の結果、深奥部に性感はないが開口部にあることが判った」と言っている。