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Channel: 原始人の見聞
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「牡丹餅(ぼたもち)」の始まり

「牡丹餅(ぼたもち)」の始まり 女詞では「はぎの花」または「おはぎ」という。関西や加賀では「掻餅(かいもち)」、豊前・豊後では「萩餅(はぎもち)」、出羽秋田では「なべすり餅」、越前・越後では「餅のめし」、下総では「がうはん」という。...

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「シッカロール」の始まり

「シッカロール」の始まり アセモ、タダレなどの強力な殺菌剤として、特に乳幼児に用いられているシッカロールは、明治39年(1906)4月に「局方亜鉛華澱粉」として、東京の新和光堂から発売されたのが始まりである。 亜鉛華澱粉画像の出典:小堺製薬株式会社

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「実母散(じつぼさん)」の始まり

「実母散(じつぼさん)」の始まり 江戸時代中期に、近江の喜谷市郎右衛門という人が江戸の来て、中橋大鋸町に薪炭屋を営んでいたが、ふとしたことから長崎の医者から産前産後に効能がある秘方を授かって売り出したところ、たちまち江戸中の評判となった。最初はただ「真木屋(まきや)薬」と称していたが、後に「実母散」と改名した。 実母散画像の出典:津久井郷土資料室

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「支那医書(しないしょ)」の始まり

「支那医書(しないしょ)」の始まり 欽明天皇の23年(562)8月に、大伴狭手彦(おおとものさてひこ)が兵を率いて高麗(こうらい:朝鮮)に遠征し、これを破って凱旋した時に呉人(支那人)の智聴がこれに従って帰化し、仏書、経書、方書(医薬書)など百六十四巻および楽器を献上した。これが支那の医書が日本に伝来した始まりである。

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「痔の病(じのやまい)」の話

「痔の病(じのやまい)」の話 戦国時代の英雄・武田信玄は、どうやら痔が悪かったらしく、長雪隠(便所に入っている時間が長い)は有名で、便所を京間の六畳敷きとし、畳を敷いて「甲州山」と名付け、沈香の良い香りを燻(くゆ)らせて、ゆるゆると用を足しながら諸国からの訴状を見たという。それゆえ『甲陽軍艦』にも「信玄は常に軍謀を厠(かわや)の中にめぐらす」と書いてある。...

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「自白促進薬(じはくそくしんやく)」の始まり

「自白促進薬(じはくそくしんやく)」の始まり アメリカで発明されたアミタール・ナトリウム(学名はイソ・アミール・エチール・バルビツール・ソーダ)は別名を自白促進薬と言う。 日本へは昭和23年(1948)の夏に、初めて輸入され、厚生省を通じて精神鑑定用に慈恵医科大学精神科に配給されたのが始まりである。...

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「耳鼻咽喉科(じびいんこうか)」の始まり

「耳鼻咽喉科(じびいんこうか)」の始まり 文武天皇の大宝元年(701)8月に制定された律令の中に、医生が既に諸経を読んでから業を分かって教習すべき事を定めたくだりに「二人は耳目口歯を学び云々、耳目口歯を学ぶ者は四年にて成る」とあり、当時既に耳鼻科は専門に講習することになっていたが、目口歯と混同されていたことが分かる。...

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「ホルモン料理(りょうり)」の始まり

「ホルモン料理(りょうり)」の始まり...

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「ジフテリア」の始まり

「ジフテリア」の始まり ジフテリア菌の飛沫伝染による感染症のことで、子供が多く罹る。 古名を「馬喉痺(ばこうひ)」「馬脾風(ばびふう)」「風喉(ふうこう)」などと言って支那の医書に見られる。日本では平安時代の『医心方』に、支那の古書『病源候論』を引いて「馬喉痺(ばこうひ)」を挙げているが、その後の医書には見られない。...

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「ジフテリア血清療法(けっせいりょうほう)」の始まり

「ジフテリア血清療法(けっせいりょうほう)」の始まり 明治18年(1885)11月にドイツに留学した北里柴三郎は、ローベルト・コッホに師事して細菌学を専攻し、ベーリングと共にジフテリア血清療法を発見し、それまで不治の難病として多くの人命を奪っていたジフテリア免疫法の端緒を開き、ヨーロッパでその名を知られた。...

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「シャックリ」の話

「シャックリ」の話 漢字では「吃逆」と書く。 これは胸と腹の間にある筋肉性の横隔膜(おうかくまく)が間歇(かんけつ)的にけいれんするために起こる症状を言い、昔から「シャックリが24時間以上も止まらないと命が危ない」と言われていた。...

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「朱医学(しゅいがく)」の始まり

「朱医学(しゅいがく)」の始まり 江戸時代初期に最も広く行われていたのは朱医学であるが、これは室町時代の医家・田代三喜が長享元年(1487)2月に、明に留学して李東垣や朱丹渓の医術を学び、12年後の明応7年(1498)10月に帰国した後、関東管領の足利成氏に招かれて下総国古河に移り、朱医学を大いに主張したのが始まりである。 次いで名医・曲直瀬(まなせ)道三がその術を伝え、大いにこれを普及した。

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「儒医(じゅい)」の始まり

「儒医(じゅい)」の始まり 生活のために儒学者が医師を兼ねた者を言う。平安時代から始まったとされ、『日本医道沿革考』に「我が国、古来から儒をもって医を兼ねる者、無きにあらず。延暦・大同の間に菅原清公あり、承和・嘉祥の間に紀夏井らあり。これ我が国の儒にして医を兼ねる者の初めにして、その後戦乱の世におよんで文献ともに衰廃し、永くまたこのごとき者あるを見ず」とある。...

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「獣医(じゅうい)」の始まり

「獣医(じゅうい)」の始まり 古くは「馬医」と称して蹄剪(ていせん:蹄を削る)や刺絡(しらく:静脈血の一部を対外に除去すること)などの術を施していたが、この「獣医」の名称は明治10年(1877)10月に、駒場農学校の中に獣医科が設けられたのが始まりである。

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「獣医学校(じゅういがっこう)」の始まり

「獣医学校(じゅういがっこう)」の始まり 明治6年(1873)3月に、陸軍省が病気の馬のために獣医学校を設けたのが、日本における西洋獣医学科の始まりである。

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「手術(しゅじゅつ)」の始まり

「手術(しゅじゅつ)」の始まり 手術は人間がその肉体を切って、病気を治そうとする試みであるとすれば、手術の歴史は頭部から始まったといえる。新石器時代に人は石器を使って頭に穴を開けていた。発掘された頭蓋骨の中には、わざわざ開けた穴がしばしば発見されている。その穴の周りは再生しており、手術後に何年かは生きていたことが判っている。...

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「種痘(しゅとう)」の始まり

「種痘(しゅとう)」の始まり...

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「種痘館(しゅとうかん)」の始まり

「種痘館(しゅとうかん)」の始まり 江戸時代末期の安政5年(1858)5月に、江戸の蘭学者・伊東玄朴、竹内玄同、戸塚静海、林洞海、坪井信良、杉田玄瑞らが相談して、神田お玉が池に種痘館を設け、さかんに種痘を行ったのが始まりである。...

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「種痘書(しゅとうしょ)」の始まり

「種痘書(しゅとうしょ)」の始まり 江戸時代後期の寛政元年(1789)6月に、筑前国の秋月藩内で痘瘡が流行した時、蘭方医・緒方春朔は初めて鼻乾苗法というものを施し、大きな効果を上げたので、その方法が広く行われるようになった。次いで、寛政7年(1795)5月には『種痘必須弁』を著した。これが日本における種痘書の始まりである。

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「巡回病院(じゅんかいびょういん)」の始まり

「巡回病院(じゅんかいびょういん)」の始まり 明治44年(1911)10月28日に、大阪毎日新聞社の慈善団が、第一回の巡回病院を設けて貧民窟に診療所を開き、無料で診療をしたのが始まりである。

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