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Channel: 原始人の見聞
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「種痘(しゅとう)」の始まり

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「種痘(しゅとう)」の始まり
 痘瘡(とうそう:天然痘)は恐るべき魔病で、人間の美しさをねたむ悪魔の呪いのように、この病気にかかると患者はたちまち醜悪な烙印を容姿の上に残される。さらに盲目や難聴になったり、数え切れない程の不幸を人類に振りまいたものである。この病気の防御法として、日本で種痘が伝えられたのは江戸時代中期で、延享2年(1745)4月に中国の李仁山が長崎に来て、翌3年の春から種痘を施したのが始まりである。その当時の通辞(通訳)であった平野繁十郎・林仁兵衛が和訳して「李仁山種痘和解」と名付けた。
 しかし、新しい完全な西洋の種痘法は、1796(寛政8)5月にイギリスの開業医エドワード・ジェンナーによって発見された天然痘の予防法である。この種痘法が日本に伝えられたのは江戸時代末期の弘化4年(1847)に、佐賀で痘瘡が流行した時、蘭方医・楢林宗建(ならばやしそうけん)が藩主・鍋島斉正の命を受けて牛痘苗の輸入を計画し、嘉永2年(1849)6月29日に長崎に入港したオランダ船で運ばれた牛痘漿を求め、その種法を蘭方医・モーニッケに学び、まずこれをわが子建三郎に施して成功したのが始まりである。次いで佐賀に行き藩主・家臣の子供に接種して良い結果を得た。また、病苗を江戸・京都・久留米・大村・平戸・唐津に分与した。これが日本において種痘の施行された始まりである。

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