「石(こく)」の始まり
「石(こく)」の始まり 米穀などを量る時に用いる「石(こく)」の呼び方の始まりは、『本朝世事談綺』のなかに「後醍醐帝延元(1336~1340)に斛器(とき)を作らしむ、斛(こく)は十斗なり、石を捧げてこれをためすによりて、一石といふ事はじまれり」とある。
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「黒印と朱印(こくいんとしゅいん)」の始まり 黒印は室町時代の武家が好んで使い始め、今川氏親の印が最も古く、次が武田信玄、北條氏康など諸将の印があり、天下の諸侯の間で盛んに用いられた。 また、織田信長は永禄11年(1568)から朱印を公文書に、黒印を私書に使い、さらに細川忠興や黒田長政などはハイカラな洋文字で印章を作っている。
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「後家(ごけ)」の話 日本の風習では、昔から婦女の貞操を重んじることが甚だ厳しく、ひとたび他に嫁した者は、たとえどのような理由が有ろうとも、相手の男から承諾がなければ女の方から離縁を求めることは出来なかった。そして、不幸にして夫に先立たれた時も「貞婦二夫に見(まみ)えず」の諺通り、多くは生涯再婚することなく、ひたすら亡き人の冥福を祈って終わるのが常とされていた。...
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「輿(こし)」の始まり かつぐ棒より上に乗るのが「輿」で、下に乗るのが「駕籠」である。すなわち、屋形の中に人を乗せその下にある2本の長柄を手または肩でかつぐものが輿であり、初めはこれに乗る事が出来たのは天皇・皇后の他に斎主と限られていた。 初めて文献に見えるのは『日本書紀』の神武天皇のくだりに「三十有一年四月乙酉朔、皇輿巡幸、因登腋二上嗛間丘一、而廻二望國状一」とあるのがそれである。...
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「瞽女(ごぜ)」の話 三味線を弾き、歌を唄いなどして銭を乞う女の盲人のことをいう。ゴゼは「盲御前」の「御前」が訛ったもので、瞽女と言う文字は漢語の宛字であるといわれている。 江戸時代には、瞽女は越後の名物で、4・5人または8・9人の少女を手引きして、ゾロゾロと列を作って江戸に行き、門弾(かどひ)きをして廻った。
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「火燵(こたつ)」の始まり 寒くなると恋しくなるのが火燵であり、これに艶めかしい色模様の掛布団でも掛けてある時は、何となく部屋の空気までが明るく暖かく嬉しいものである。...
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「小伝馬町牢屋(こでんまちょうろうや)」の始まり 江戸時代には「牢屋(ろうや)」といい、明治時代には「監獄(かんごく)」といい、大正11年に「刑務所(けいむしょ)」と改称した。なお、「懲治監(ちょうじかん)」は年少者や瘏唖者(いんあしゃ:聴覚機能、言語機能を共に欠いている者)を留置したところである。...
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「木挽(こびき)」の始まり 大鋸挽(おがひき)または鋸匠(こひき)、鋸傭(こひき)ともいう。その起源については『人倫訓蒙図彙』のなかに「木挽 聖徳太子難波の浦に四天王寺を御建立のとき、大木を割るべき思慮をめぐらし給ふに、雁一羽、青き木葉をくはへて来りぬ、太子御覧あつて、かの葉の姿に鉄をもってつくらせたまふに、よくきれしよりはじまれり、是れ鋸のはじめとかや」とある。飛鳥時代のことである。 木挽...
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「午砲(ごほう)」の始まり 正確な時刻を広く一般に知らせるために、明治4年(1871)9月9日より、元本丸で正午12時に大砲を打ち始めた。 次いで、大正11年(1922)8月17日に陸軍省で予算を収縮したため、これを東京市に移管したが、さらに昭和4年(1929)5月1日からこの午砲を止めて、サイレンを鳴らす様に定められた。 午砲に使用された大砲江戸東京たてもの園保存画像の出典:ウィキペディア
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「護摩の灰(ごまのはい)」の始まり 江戸時代に道中を横行した小盗(しょうとう:こそどろ)のことで、旅人に紛れて街道をうろつき、旅になれていない行き帰りの旅人に、言葉巧みに近付いて油断した隙に財貨をかすめ取ったものである。...
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「小間物屋(こまものや)」の始まり 白粉(おしろい)、紅、櫛、笄(こうがい)、簪(かんざし)など、主に婦人の化粧、装飾品などの細々としたものを商い、粗物(あらもの)を売る荒物屋に対して、小まかい物を売る、すなわち小間物屋と呼ぶ様になり、江戸時代以降盛んになった。小間物を背負って各家々を訪ねて売る行商人は「背負小間物屋」と言い、支那やオランダの舶来品をあつかった小間物屋は「唐物屋」と呼んだ。
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「ゴム靴(ごむぐつ)」の始まり 日本では明治40年(1907)に、東京の三田土護謨製造会社がゴム靴の製造を始めたのが始まりで、永い間独占の形であったが、その後、色々な会社でも製造する様になり、ついには国内の需要を満たしたうえ、海外にまで輸出する様になった。
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「サイフォン」の始まり 江戸時代初期に、加賀藩主前田利長が金沢城を築いた時に、それに必要な水を犀川の上流から引いたが、金沢城は山の端の高い場所にあったため、水を引くのが非常に困難であった。その時、板屋四郎兵衛という藩士が研究を続けた結果、ついにU字形の管を作ることに成功した。これは水圧の理を応用して、いったんは高いところへ水を吸い上げた後、それをまた低い方に引くもので、実に今日のサイフォンの始まりである。
View Article「歳末休暇(さいまつきゅうか)」の始まり
「歳末休暇(さいまつきゅうか)」の始まり 官庁では12月28日が御用納めで、歳末の多忙な世間をよそに、予算関係を除いて一足先に休暇となり、一刻千金の年末3日間は官庁の機能は停止してしまう。...
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