「細菌殺人(さいきんさつじん)」の始まり
昭和11年(1936)10月18日に、川口市本町4丁目198番地の耳鼻咽喉科医院長高橋貞三郎は、実家で病気静養中の妻積子(28歳)の許へ見舞いといって培養チフス菌を混入した菓子を送り、これを食べさせて妻に掛けてある保険金五千円を詐取しようとして失敗し、次いで、11月23日に妻を診察した同市本町3丁目の柳田昌雄医師一家を同じ手口で皆殺しを企て、ついに昌雄医師の妻よね(44歳)と三女たけ(15歳)を死亡させるという、実に恐ろしい犯罪が発覚した。ところが高橋の魔の手はこれより先に、やはり同市本町4丁目の耳鼻咽喉科小野忠信博士にも、チフス菌入りの菓子を送り、これを食べた同家の看護婦三上貞子、女中犬飼久子、留守番野上一の3名が同年6月20日に同時に発病して犬飼久子は死亡し、また3月には本町4丁目の医師塚田数馬にも「近所で開業したいからよろしく」とカステラの折りを贈り、これを食べた長女あや、長男英男、二男章も発病したが、危うく命は取り留めたという、戦慄すべき事実も判明した。
これが恐るべき細菌を用い、最も憎むべき殺人を行った始まりである。