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Channel: 原始人の見聞
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「後家(ごけ)」の話

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「後家(ごけ)」の話
 日本の風習では、昔から婦女の貞操を重んじることが甚だ厳しく、ひとたび他に嫁した者は、たとえどのような理由が有ろうとも、相手の男から承諾がなければ女の方から離縁を求めることは出来なかった。そして、不幸にして夫に先立たれた時も「貞婦二夫に見(まみ)えず」の諺通り、多くは生涯再婚することなく、ひたすら亡き人の冥福を祈って終わるのが常とされていた。
 また、幼い時に言名付(いいなづけ:許嫁)となり、あるいは婚約を結んだ上は、結婚する前に相手の男が死んだ時は、操を立てて一生を独身で通すものが多く、これを世に「行かず後家」と称したものである。
 しかしながら、永い生涯の内には、人も木石ではないために、中には女盛りのやりどころのない懊悩(おうのう:悩み悶えること)と寂寞(せきばく:ひっそりとさびしいこと)の生活に耐えかねて、好きな人が出来たり、あるいは熱烈な恋に陥る者が居て、俗諺に「三十後家は立たぬ」と言われ、あるいは「色は年増に止めを刺す」と言われた程である。「好い後家が通る、女は後家に限る、自宅(うち)の女房も早く後家にしたい」などと落語にもあるが、女盛りでもあり、周囲の誘惑もあって、後家をたて通すことも容易なことではなかった。
 歴史上で、特に徳川家康の後家好きは有名で、妻妾17人の内、朝日御前(佐治日向守の妻)、西郷の局(西郷義勝の妻)、茶阿の方(島田宿の鋳物師の妻)、阿茶の局(神尾孫兵衛の妻)、お亀の方(竹腰助九郎の妻)、お牟須の方(三井左衛門の妻)の6名は実にそれぞれ後家であった。

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