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Channel: 原始人の見聞
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「女の政治家(おんなのせいじか)」の始まり

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「女の政治家(おんなのせいじか)」の始まり
 日本における女性政治家としての源政子は別として、近代の草分け的な女性政治家は高知の民権婆さんと言われた楠瀬喜多が、明治6年(1873)頃から板垣退助の立志社の客員として、荒武者鬚男の中で丸髷に小紋の被布姿で演壇に現れ、民論を鼓吹していた。
  さらに景山英子は備前の藩儒の家に生まれ、明治16年に母親の梅子と共に燕紅学舎を岡山に創設し、女子夜学を開いて自由民権を唱え、また岡山女子懇親会を結成して、当時の新しい女性の魁(さきがけ)となったが、その筋から閉鎖を命ぜられたことに憤慨し、上京して自由党の豪傑連中と共に各地を遊説し、中島湘煙と並んで女流政客の双璧と言われた。わずか21歳の若い身空で「萬巷を読むにたらずただ太いステッキあるのみ」と豪語して、袴をはきステッキを手に男装をしたモダンガールの元祖でもある。
 それに比べ、今の女性政治家(特に国会議員)の一部は品位(自然に尊敬したくなるような気高さ)もなく、政治家としての資質(性質や才能)もなく、ただただ血税を貪っているだけで、人道に恥じていることにも気が付かず、国民のためには無用の輩と化している。

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