「江戸の瓦葺き(えどのかわらぶき)」の始まり
瓦で屋根を葺くことは、古く飛鳥から平安時代にかけて奈良や京都で行われていたが、主に寺院や宮殿などであった。
江戸で庶民が瓦を用いるようになったのは『慶長見聞集』に「慶長六年(1610)十一月二日巳の刻、駿河町幸之丞家より火を出す、此大焼亡に江戸町一宇も残らず、人多く死す、畢竟(ひっきょう:結局)町中草葺(くさぶき)故火事絶へず。此ついでに皆板葺きになすべきよし、官府より命ぜられければ、町中ことごとく板葺きに作る所に、瀧山弥次兵衛といふもの、諸人に秀でた家を作らんとたくらみ、街道表棟より半分瓦にて葺き、後半分をば杉にて葺きたり、皆人沙汰しけるは、本町二丁目の瀧山弥次兵衛は家を半分瓦にて葺きたり、さても珍しきや、奇特哉と、人ほうびして異名を半瓦弥次兵衛と云ふ、是れ江戸瓦葺きの始めなり」とある。
また、『武江年表』には「正保二年乙酉(1645)江戸にて始めて瓦を焼く」とあり、さらに『本朝世事奇談』には「江戸にては寺島氏、中村彦六はじめてこれをやく、又瓦に巴の紋を作るは水の縁也、巴は水の巻状にて渦なり(中略)、瓦の唐草も水草也、正親町殿御説に、巴は水をかたどりたるゆへに、古よりつけ来れり、釘かくしの六角なるも水をかたどる、天井、鴨居、蛙股など、みな水の縁をとる、堂塔に飜龍雲水を画くもおなじことわり也、すべて火難を避るの祝事也」とある。
巴紋瓦
画像の出典:木のメモ帳