「紋別漬(もんべつづけ)」の始まり
江戸幕府の漬物方を勤めた山田喜兵衛の家記によれば、寛永年間(1624~1644)に北条安房守氏平が島原の乱に際し、握り飯には黄粉・塩を用い、後に品切れになったので胡麻塩に改めたが、それも不足となったので、仕方なく大根を細かく刻んで味噌溜りに漬けて「溜漬(たまりづけ)」と称して軍用に供した。
ところが、文化年間(1804~1818)にロシア人が北海道に侵略した頃、有名な探検家の近藤重蔵が石狩国紋別において、その溜漬を醤油漬に改めてから、これを「紋別漬」と呼ぶようになった。