「児童文学(じどうぶんがく)」の始まり
児童文学の始まりは鈴木三重吉が大正5年(1916)6月に長女すずの誕生を契機として児童文学に着眼し、それより永く小説の筆を断ち、ひたすら童話の世界に傾倒したのが始まりである。すなわち、大正5年12月に最初の童話集『湖水の女』を出し、次いで大正7年7月には童謡童話雑誌『赤い鳥』を創刊し、また童謡と自由詩の北原白秋や自由画運動の山本鼎(やまもとかなえ)らと呼応して新興児童文学の普及に努め、さらに児童の綴り方の指導に当たり、綴方学の始祖と称されるようになった。
その著書には『世界児童文学全集』『黄金鳥』『古事記物語』『アンデルセン童話集』『綴方読本』『桑の実』『小鳥の巣』『お三津さん』『黒髪』『子猫』『鈴木三重吉全集』などがある。