$ 0 0 「西洋釘の製造(せいようくぎのせいぞう)」の始まり 明治10年(1877)頃、横浜百六十八番館に、見本として40~50樽の西洋釘が輸入され、それを日本橋新和泉町の中村重兵衛が引き取り、次いで明治28年(1895)3月に安田善次郎が山口武彦をアメリカに派遣して、洋釘工業の調査と機械の買い付けをさせ、明治30年7月にアメリカのリチャーズが発明した新式の機械が輸入されると、これを東京深川猿江の新工場に据え付け、翌31年の春から製造を開始したのが始まりである。