「大和魂(やまとだましい)」の語源
日本人の精神を象徴する言葉として有名な「大和魂」は、平安時代の『源氏物語-乙女巻』に「なほ才を本(もと)としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も強う侍(はべ)らめ、さし当たりては、心もとなき様に侍りとも、終の世の重しと成るべき」とあり、また『大鏡』に「弓矢の本末をも知りたまはねば、いかがとおぼしけれど、大和心かしなくおはする人にて」とあり、当時は大和魂や大和心とは、事ごとに明るく常識に長けたもののことを言ったのである。
しかし、近世になると、その意義が甚だしく変化し、忠勇節義を尊ぶ武士道的な日本の精神のみを象徴するようになり、江戸時代の国学者・本居宣長も「しき島(しきしま:日本)の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」と詠じ、国民精神の崇高な姿を山桜に比し、また村田清風は「しき島の大和心を人問はば蒙古の使ひ切りし時宗」と言ったような剛勇果断よく国難に際して外冦を退けた北条時宗を大和心の権化としており、さらに吉田松陰は「かくすればかくなるものと知りながら已むにやまれぬ大和魂」と詠じて、国家のためには喜んで死地に赴く殉国の精神を謳歌するにいたった。
どの国にも、その民族精神は有り、伝統がよりよい国民の支柱となることは望ましいが、政治の一政策としてあまりに誇張しすぎ、言いふらされることは本来の崇高な国民精神の姿に醜い衣をかぶせることになるので、戒心しなければならない。