「木曽踊(きそおどり)」の始まり
日本における代表的な民謡として「木曽のナー御嶽山」で有名な木曽踊りは、その由来が最も古く、明暦2年(1656)版の『世話盡』や万治3年(1660)版の『萬歳踊』の中にその名が見え、既に江戸時代の初め頃から盆踊りとして広く諸国で流行していたことが判る。
天保5年(1834)版の『信濃奇勝録』のなかに「木曽踊は六月十二日十三日黒沢の祭りの夜、また七月盂蘭盆(うらぼん)にをどるを大踊といふ。大道に男女うちまじりて車輪のごとく、若き者はさらなり、老人は杖を傍におきてまじり、老婆は孫を負い児童を引き連れ来たりてそのなかに入り、夜一夜をどり明かすことなり。平日は移徒婚姻の祝または仏事供養の当時わけて年忌にても翌日一族あつまり、老人音頭をどりてをどる。もとより糸竹笛鼓の拍子なく拍子で歌ふのみなり」と、その盛んであった様子を書いている。
木曽踊
画像の出典:木曽町観光協会