「大薩摩節(おおさつまぶし)」の始まり
江戸浄瑠璃の一つで、江戸時代初期の寛永年間(1624~1644)に、虎屋薩摩太夫が江戸に来た時、初代杵屋勘五郎を三味線の相方にしたのが始まりである。
江戸時代中期の寛保・延享年間(1741~1748)の最も盛んに行われ、太夫は黒紋付きの着流しで舞台に立ち、唄本を片手に持って、張飛(ちょうひ:支那の三国時代の武将)も三舎(さんしゃ:古代支那の90里(約90㎞))を避けんばかりの大声を上げて、うなり出すように語ったという。一時は廃絶したが、今でも劇場音楽として江戸長唄の中に伝わっている。