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Channel: 原始人の見聞
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「婦人科(ふじんか)」の始まり

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「婦人科(ふじんか)」の始まり
 女性生殖器の疾患を治療する医科の一つで、昔は単に「女医」とも言った。その専門医としては鎌倉時代から安芸守定の子孫が相次いで業を継承し、世に聞こえていた。しかし、『日本産科全書』の中に「秦漢以後、二千年来の漢医方に一の手術なく、いはゆる外科なるものも、また殆ど内治の術と異なることなし。本邦の医学はその積弊をうけ、さらに別機軸を出さざりしこと、また数百年とうとうとして、ただ草根木皮の雑材に治療の権柄をゆだね、徳川氏の中世にいたるまでは殊更世を挙げて皆李朱の説にまどひ、温補の談を持し、方薬すら猶峻劇なるを嫌ひ一、二鍼熨のほか外治の道を知らざりしなり」とあるように、姑息の有様であったが、江戸時代中期にいたり、宝暦7年(1757)に近江国彦根の賀川玄悦が産科に新しい方面をひらき、また『産前七十五難』『産後百二十五難』『産科弁論』などを著して、前人未踏の手術を行い、その名声は海内に聞こえ、産婦人科学の祖と仰がれるに至った。

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