「八百屋煎餅(やおやせんべい)」の始まり
明治33年(1900)2月に、東京浅草区駒形の八百屋で荷車を引いていた息子が兵隊に召集されたので、母親は八百屋をやめて煎餅を焼くようになったのが始まりである。
初めは木の葉焼であったが本業であった八百屋を偲ぶよすがとして、蕪や南瓜の形に変えて、名前も「八百屋煎餅」と改め、商標の「蕪」を「家富」と書いて売り出したところ、通人の間に好評を博すようになった。
この煎餅は、一枚に35・6回も裏返すので一日に一人1,000枚を焼くのがやっとであるという。それに信州伊那の甘露醤油を使っているため、その香りと風味が素晴らしいと言われている。