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Channel: 原始人の見聞
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「赤十字社看護婦(せきじゅうじしゃかんごふ)」の始まり

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「赤十字社看護婦(せきじゅうじしゃかんごふ)」の始まり

 明治19(1886)7月に、赤十字病院長であった橋本綱常は陸軍軍医総監足立寛と計画して陸軍の中にも看護婦をおくこととなり、翌20年の春から養成を始め、明治27年の日清戦争に際して試みに広島予備病院にその看護婦を使用したところ、素晴らしい成績を上げた。これが陸軍病院において赤十字看護婦を用いた始まりである。

 中でも萩原タケはその始祖といわれ、明治26年4月に看護婦となり、それ以後44年間にわたって終生を赤十字事業に献身し、全国看護婦の母と言われ、日清・日露戦争、北清事変、シベリヤ事変などの負傷者の救済に幾多の功を立て、明治4210月にロンドンで開かれた万国看護婦大会に最初の日本代表としてイギリスに赴き、次いで大正2年3月にはドイツに、また昭和4年(1929)7月にはカナダに派遣され、日本看護婦協会が創設されるとその会長に推薦された。

イメージ 1 

萩原タケ

画像の出典:あきる野市


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