「平治煎餅(へいじせんべい)」の始まり
大正時代初期から伊勢国津で製造され始めた煎餅で、名称の由来は、歌舞伎の「勢州阿漕が浦」からとったものである。
伊勢国安濃郡阿漕が浦は、むかし伊勢神宮の御膳に調進する魚の網を引くところで、一般には禁漁区域であった。ところが、阿漕の平治という孝行者が母親の病気を癒すための薬代を得ようとして、密かに漁を行い、度重なるうちに捕らえられてしまった。すると、これを聞いた近所の治郎蔵という侠気に富んだ男が、この孝行な平治を助けようと、現場から証拠品として押収された「平治」と書いた菅笠を自分のものだと主張し、さらに名前の「平治」は平河原の「平」と治郎蔵の「治」だと言って、平治を救ったという故事から名付け、形も菅笠状の丸いものである。
しかし、平治は露見して捕らわれ、簀巻きにされて阿漕が浦に沈められたのが本当で、身代わりの侠客は芝居に仕込んだウソの話である。
平治煎餅
画像の出典:平治煎餅本店