「血液の入れ換え(けつえきのいれかえ)」の話
日本で初めて人の血液を入れ換えた珍しい話が昭和27年(1952)2月28日の『読売新聞』に掲載されている。それには「赤ちゃんのプラス性血液を全てマイナス性血液に入れ換えるという珍しい手術が、27日朝、日赤秋田病院の院長天野尹(あまのまこと)・産婦人科医長関闡(せきひろし)両博士によって行われ、見事に成功した。
この赤ちゃんは秋田県由利郡小友村の某小学校長と夫人の間に生まれた男児で、父親はO型RHプラス、母親はO型RHマイナスで、母親の血液が胎児の血液を破壊するため赤ちゃんは貧血と黄疸を起こして一週間以内で死亡する。このため、夫婦の間に出来た子供はそれまでに7回も早産・死産していた。たまたま同じ事例がアメリカにあり、赤ちゃんの血液を入れ換えて救われたという記事を読んだ母親が、両博士に依頼し、日赤病院ではあらかじめO型マイナス血液450ccを用意して27日朝貧血状態で生まれた赤ちゃんのヘソの緒から輸血し、ももの動脈から赤ちゃんのプラスの血液をとり出し、完全に血を入れ換えることに成功した」とある。
なお、このRH型血液というのは、1940年にアメリカのランド・スタイゲルがO型の人にO型の血液を輸血したところ、悪影響が生じたので、その原因を究明した結果、ついに発見したもので、プラスとマイナスが合わさると抗原性(赤血球を破壊する作用)を生じ、生まれる子供は決して育たないことになっている。