「外科手術(げかしゅじゅつ)」の始まり
江戸時代末期の文久3年(1861)6月3日に、江戸吉原遊郭の幇間(ほうかん:男芸者=たいこもち)をしていた櫻川善孝の子供・由次郎が脱疽(だっそ:壊疽えそ)に罹った時、横浜に在留していたオランダの名医ヘボンに診察を受け、脱疽に罹っていた右脚を切断手術してもらったのが始まりである。
次いで、当時の名優として有名な三代目沢村田之助が、明治元年(1868)の春頃から脱疽に悩み、明治3年春にヘボンの許を訪問して診療を受けたところ、ヘボンは「なんの造作もない」とあっさり引き受け、「どうです田之助さん、痛いかね」と言いながら、ポケットから小さな瓶を出して鼻のところにやると、田之助はすっかりと眠ってしまった。今の麻酔薬である。するとヘボンは田之助の脚を切開し、皮膚をたるましておいて、骨をノコギリで切断し、たるませておいた皮膚をかぶせて縫い合わせ、「さあ、これでよろしい」と言ったのには、立ち会っていた親類の助高屋高助、田之助の姉・お歌、妹の品川の女郎屋青柳の家内らもあきれてしまったという。その後、義足を付けて再び舞台に立って大評判であったという。