$ 0 0 「泉熱(いずみねつ)」の話 昭和2年(1927)の春に、金沢において高熱と発疹がでる病気が流行し始めた時、これを診断した金沢医大の泉仙助教授が「一種の猩紅熱(しょうこうねつ)様発疹性熱性病」と報告してから、「泉熱」と呼ばれるようになった。 初めは高熱が出て、しばらくは平熱が続き、次いで二度目の高熱が出て発疹を伴い、その後熱が下がって全快する。病原体はウイルスとされ、ネズミによる媒介が考えられている。