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「演説(えんぜつ)」の始まり

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「演説(えんぜつ)」の始まり
 平安時代の延喜元年(901)8月に、藤原時平・大蔵善行らが撰した『三代実録』のなかに「春は最勝王経を演説し、秋は法華経典を講吼す」とあり、古くから用いられた言葉である。
しかし、後の洋式演説は明治時代初期から始まり、『百戲述略』の中に「福沢諭吉などその塾中にて開きしはすでに八年(1875)頃にもあるべし、九年中、福地源一郎、沼間守一の両氏、下谷曼利支天祠において席をひらき、席費を聴衆よりおさめたるがすなわち此会の寄せ席となる権輿(はじまり)なるべし」とあり、この頃より盛んに流行するようになった。
 次いで、明治11年2月の『東京雑誌』に「演説会は福沢に奪われ撃剣会は榊原(健吉)に奪われ、民会は千葉県に奪われ、民訴は神奈川県に奪われ、公園は上野に奪われ、西洋料理は精養軒に奪わる」とあり、その当時は福沢諭吉の演説がいかに有名であったかが判る。

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