「医者の薬料(いしゃのやくりょう)」の話(1)
「薬料」とは薬代のことである。
昔から日本における医術は、済生(さいせい:命を救うこと)の仁術(じんじゅつ:儒教の最高の徳である仁を行う方法)として、これを施すものは慈悲の心を主として、謝礼のごときは強いて請求すべきではないとされていた。それが長い間の習わしとなって、ついに「医者の薬礼と深山の躑躅(みやまのつつじ)取りにゃ行かれずさきしだい」などという俗謡さえ生まれた。
しかし、江戸時代初期に甲斐国の名医・永田徳本(ながたとくほん)のように、病人から一服金18文と定めて薬価を請求したものもあったが、これは世の医者が利欲に走る弊害を改めるために、ことさら報酬の規定を設けたものである。
この永田徳本は三河国大濱村(愛知県碧南市大浜)の人で、はじめは出羽国(山形・秋田県)の人・殊夢に医術を学んだが、その後各地を周遊し、室町時代の大永・享禄年間に甲斐国(山梨県)に来て武田信玄の父・信虎に仕え、甲州ブドウの棚懸法の発明者とも言われている。医者が薬料を定めた元祖といえる。