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「幽霊(ゆうれい)」の始まり(2)

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「幽霊(ゆうれい)」の始まり()
 鎌倉時代になると人間界の妖怪が現れて鬼や天狗のほかに、草木や石に精霊があるようになり、幽霊や人魂や生霊、死霊などの文字も用いられるようになった。
 古代から幽霊には足がないものとされているが、その足は何時の時代から無くなったかというと、意外に新しく江戸時代中期頃からである。すなわち、近世美術界の巨匠として名高い円山応挙が幽霊を描いた時、一層怪異をそそるために足を無くしたのが大評判となり、それ以後浮世絵や小説などでも好んで足の無い幽霊を描くようになったと言われている。また、芝居では文化年間(18041818)に名優尾上松緑の下男で、訳者になった小幡小平次が女房の隠し男に殺されたのを恨み、ついに幽霊となって相手を苦しめたという噂を、怪談物の名作者鶴屋南北が聞き、これを脚色して「彩色御伽噺(えいりおとぎばなし)」という芸題の芝居に仕組み、これを文化5年(1808)6月に江戸の市村座で上演した時、松緑は小平太に扮したが思案をこらして足を無くし、その物凄さは男ですら顔を背けるほどであったという。
 三田村鳶魚の『江戸の風俗』のなかに「松緑が幽霊の元祖といわれますわけは、足のある幽霊を松緑の工夫で足の無いやうに致しました。これは人魂から思ひつきまして、幽霊の足をすうっと長く引きます、あれから思ひつきまして、幽霊の足をすうっと細くするやうに工夫したのが松緑でありました。幽霊の形式はこの松緑から変わったのでありますが、怪談といふものの意味も亦この松緑の時から変わったので、江戸末の幽霊好みといふ一種の誂(あつら)へは、この松緑によって起こったといってよからうと思はれます」とある。

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