「武士の両刀(ぶしのりょうとう)」の始まり
古代に武人が長短両刀を帯びした所見はなく、聖徳太子や藤原鎌足の肖像画にも一振のみである。
平安時代の延喜年間(901~923)頃から、朝服には飾太刀一振を佩(は)き、また旅行などには野剣(のつるぎ)という小刀を佩(は)くようになった。
大小の両刀を共に指し添えるようになったのは、『軍防令』のなかに「兵士は太刀一口(ふり)刀子(とうす:短刀)一枚を自ら備へよ」とあるのに始まり、宮中の護衛士や辺要軍団の兵士のみが大小二刀を帯したものである。
次いで天暦年間(947~957)頃から源平二氏の勃興となり、武士の実戦の場合、ことに組打(くみうち)などの際には長刀は不便であったために短刀が重んぜられ、ついに必要欠くことのできない武具となった。
なお、江戸時代に吉原遊郭などで、武士が遊興する時には、二階の上り口で大小を預けなければならない規制(しきたり)があった。