「花電車(はなでんしゃ)」の始まり
電車の回りを花やイルミネーションで煌びやかに飾ったものをいう。明治38年(1905)正月3日に、支那の旅順陥落を祝って花電車を運転したことが、ドイツの名医エルウィン・ベルツの日記に出ている。すなわち「東京中は大なる歓呼の声に埋っている。夜、全市は照明された。銀座は壮観を呈している。電車は出来る限りの美装を凝らし、妖精の如き流眄(ながしめ)を送っている」と書かれている。
〔おまけ〕花電車の語源?
大正時代に東京郊外玉の井の私娼窟に「花電車」という名前の付いた曲芸女がいた。それは下の口(女陰)に筆をくわえて字を書いたり、五十銭銀貨を拾ったり、煙草を吸ったり、バナナを切ったり、卵を弾(は)ね出したり、色々な面白い芸を見せて大変な評判であった。その語源は「見せるだけで乗せない」ので花電車と呼ばれたのである。