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「八朔(はっさく)」の始まり

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「八朔(はっさく)」の始まり
 八朔とは陰暦の8月1日の祝日のことである。農家では田実(たのみ)の節、田面(たのも)の節、天中の節とも言って祝う。
 『古今要覧』のなかに「八朔の祝儀は武家よりこと起こりて公家におよびしもの也。そのはじめをたづぬれば年紀さだかならずといへども建久の末(1196)に鎌倉よりできたりしよしいひ伝へたり、公家にては後嵯峨院の御宇より行はれしかど、公事にてはなし堅固内々のことなりし」とある。つまり『吾妻鏡』の宝治元年(1247)八月一日のところに、八朔の恒例である進上物を停止させたことが記載されているのをみると、当時は既に行われていたことが判る。
 江戸時代に入って、吉原遊郭では八月十五日とともに八朔を大紋日として、この日には白無垢(しろむく)を着た。これは元禄期に江戸町一丁目の巴屋の抱え高橋太夫が八朔に瘧(ぎゃく:マラリアの漢名)の病を患って打ち臥していたところに馴染みの客が来たので白衣の寝巻のまま揚屋に入ったところ、その姿がまことに優美であったと、変なところに感じ入って、何時しかこの廓の風俗になったという。

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