「若い燕(わかいつばめ)」の語源
年上の女性の愛人となっている若い男性のことを言う。
明治44年(1911)9月に創刊された平塚雷鳥(奥村明(おくむらはる))の雑誌『青鞜(せいとう)』に「元始女性は太陽であった」という大胆な宣言を載せて、日本の近代的な婦人解放運動を開始した。
この雷鳥が、茅ヶ崎の南湖院に遊びに来た青年画家の奥村博史に特別な好意を寄せたので、雷鳥の共鳴者達が騒ぎ出した。驚いた奥村は手紙の中で自分を若い燕に例え「池の中で二羽の水鳥が仲良く遊んでいるところへ一羽の若い燕が飛んできて池の水をにごし、大騒ぎが持ち上がった。この思いがけない結果に驚いた若い燕は、池の平和のために飛び去ります」と悲愴な手紙を書き置きして立ち去った。すると雷鳥は「燕ならば、また春の季節が来れば飛んでくるでしょう」と返事を出した。その言葉の通り、再び春が来て奥村青年は、また彼女のふところに舞い戻り、大正3年正月に楽しい共同生活を営むようになった。
このことから、「若い燕」と言う言葉が世に広まり、後には有閑マダムの遊び相手と言ったニュアンスで使われるようになった。