「床屋の看板(とこやのかんばん)」の始まり
昔、西洋の理髪師は仕事をする傍ら医者を副業としていたので、赤・青・白の看板を用い、彩色の赤は動脈、青は静脈、白は布を表していたという。
その始まりについては、1540年(天文9年)にフランスのパリの外科医メヤーナキールという人が、赤・青・白の三色の練縞(ねりしま)を床屋の看板にしたのが始まりと言われている。
日本で最初にこれを床屋の看板にしたのは『武江年表』の明治4年4月のところに「この頃常盤橋御門外髪結床の西洋風髪剪(はさみ)所(川名浪吉)の招牌(しょうはい:看板)を出す、ふとき棒のあたまに、宝珠のかたちを彫り、右の棹へは、朱白藍色の左巻という塗り分けにして立てる、これより諸方にこれを擬して、いっぱんの形状となれり」とあるのを見れば、明治時代初期には既に行われていたことが判る。