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Channel: 原始人の見聞
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「西洋人の帰化(せいようじんのきか)」の始まり

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「西洋人の帰化(せいようじんのきか)」の始まり
 『蒲生家記録』によると、天正5年(1577)10月5日に、會津藩主蒲生氏郷のところへ家臣の外池勘右衛門が来て「或る方より添書をもってローマ人ロルテスと申すものがきたり、お召し抱えを願っている、この者は外国の武士にて兵法・天文・地理の諸学はその奥義をきわめ張良・孔明をもしのぐほどのひとである」と言上した。家臣の間で議論はあったが、結局これを採用することになった。こうしてロルテスは山科羅久呂左衛門勝成と名前を改め、大砲や小銃などの新鋭武器の製造を行っていたが、後には至る所の城攻めや野戦に出陣して抜群の手柄を立てた。そして、天正12年5月13日には、岸上傳右衛門ら11名を伴ってヨーロッパに赴き、ローマ法王に黄金百枚を献上して、同141121日に帰国して、法皇の書翰や小銃30丁を持ち帰っている。これが、おそらく最初に日本に帰化した西洋人であろう。

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