Quantcast
Channel: 原始人の見聞
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1929

「禁煙(きんえん)」の始まり

$
0
0
「禁煙(きんえん)」の始まり
 1492(明応元年)にコロンブスがアメリカ大陸を再発見した時に、サン・サルバドル島付近の原住民に贈り物をすると、原住民はその返礼として持っていた武器と一緒にある草の葉を差し出した。これが煙草の始まりである。コロンブス一行がスペインに帰って煙草を吸ってみせるとキリスト教にはないことなので「悪魔の行為」であるとして弾圧されたという。
 1570(元亀元年)にはオランダ、ドイツ、スイスなどにも煙草が移植されたが、その頃イギリスでも嗜好品として喫煙する風習が始まった。1585年にイギリスのサー・ルター・ローレーがアメリカのヴァージニアを開拓して優秀なヴァージニア煙草を作った。彼がある日、部屋で喫煙しているのを見たメイドが驚いて「旦那様が火事だ!」と慌ててバケツで水を掛けた話は有名である。しかし、ジェームス1世が煙草の害をならべてこれを排撃し、1618年にローレーは捕らえられ断頭台の露と消えた。1613年からロシアでも禁煙令が公布され、これを犯したものは全て煙突の役目をした鼻を削ぎ取られた。1633年にはトルコの皇帝ムラード4世も禁煙令を出し、犯す者はどしどし死刑に処した。
 日本では江戸時代初期の慶長14(1609)7月に、京都で不良青年たちが煙草のことから徒党を組み、荊組(いばらぐみ)とか皮袴組(かわばかまぐみ)などと称して、大煙管(おおきせる)を腰に差したり下人に持たせたりして盛んに不穏な行為があったので、火事や冗費(じょうひ:無駄な費用)に対する意味をも含めて禁令を出し、これを取り締まったのが禁煙令の始まりである。
 次いで、慶長1510月に、徳川家康が住んでいた駿府城で起こった火事も煙草が原因であったため、再び厳しい禁令が出されたが、その時の布令には煙草の売買を見つけて訴人した者には、その売買した双方の家財を与えるという奇抜な条文があった。その後、元和元年(1615)6月には各藩に命じて煙草の売買および栽培を禁止し、翌元和2年10月にはさらに厳重な布令が出され、煙草を栽培した者あるいは販売した者は、町人は50日間、農民は30日間、それぞれ持ち弁当で牢屋に入れられた。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1929

Trending Articles