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Channel: 原始人の見聞
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「行商(ぎょうしょう)」の始まり

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「行商(ぎょうしょう)」の始まり
 古くは連著(れんじゃく)とか裨販(ひさぎびと)とも言った。この連著(れんじゃく)とは品物を背負う道具の名前であるという。また、僧形の姿で行商をする者を売子(まいす)と言い、女性の行商人を販婦(ひさぎめ)・市女(いちめ)と称し『今昔物語』や『源氏物語』に見られるのは、行商の始まりも随分古いことになる。
 江戸時代になって行商も大いに進歩発達し、盛んに行われるようになったようで、『飛鳥川』に「中昔までの蚊屋うりの、初夏より声美し、その店の伊達に売りたる数少なくなりゆく、暑気のころ枇杷葉湯(びわはゆ)は烏丸(からすまる)の名をうる中に、定齋(じょうさい:煎じ薬)は青貝荷の環をならし、笠もきずして其の功能にほこるもをかしけれ、心太(ところてん)売りは昔も今もかわらず、白玉売りの菅笠出立、金時小豆のむくつけきさま、蒲焼きの小岡持、金魚売りの両掛け荷、団扇売りの篠竹(しのたけ)にかさねさしさる。皆それぞれのならはしたり、天明度は正月ははぜはぜの声につづき、辻辻に出て宝引きといふもの、サアゴザイ、サアゴザイとと呼ぶ者からサゴザイととなへて童子を集めて綱を引かせ、あたるものへ菓子持ち遊びを取らすること、白河侯(松平定信)の世を糺(ただ)されて、賄利めきたること禁ぜられてより、此ことうせて、鼠のいろは札くはへることもやみ、ようよう文化度より、卦算廻しといふ画始まりぬ、声のどこかに一枚絵双紙と売るも次第にうせたり」と、江戸時代末期の街頭における行商の変遷が書かれている。

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