「侠客(きょうかく)」の始まり
奴(やっこ)、男伊達(おとこだて)、歌舞伎者(かぶきもの)、町奴(まちやっこ)などを、江戸時代中期頃から「侠客」と呼ぶようになった。その義とするところは「強きを挫き、弱きを助ける」であって、人の危難に赴くのはよいが、そのあまり血の気にはやり、ついには善悪の形勢を充分に考えずに、まして大義も知らず、ただ意気に感ずるとばかりに客気(かっき)に走るような一種の無頼な行為をする輩(ともがら)を指して言うようになった。
近世における最大の親分格は清水の次郎長である。
奴(やっこ)、男伊達(おとこだて)、歌舞伎者(かぶきもの)、町奴(まちやっこ)などを、江戸時代中期頃から「侠客」と呼ぶようになった。その義とするところは「強きを挫き、弱きを助ける」であって、人の危難に赴くのはよいが、そのあまり血の気にはやり、ついには善悪の形勢を充分に考えずに、まして大義も知らず、ただ意気に感ずるとばかりに客気(かっき)に走るような一種の無頼な行為をする輩(ともがら)を指して言うようになった。
近世における最大の親分格は清水の次郎長である。