「病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)」の語源
病気が重くなって、直る見込みが無くなることを言う。「膏」は胸の下の方、「肓」は胸部と腹部の間の薄い膜のことで、両方共に治療しにくい部分とされている。
中国の春秋時代に晋の主君が重い病気にかかり、姻戚関係であった秦の国王に使者を遣わして医者を求めた。秦の国王は侍医の緩(かん)と言う名医を晋に送ることにした。これを聞いた晋の王は大いに喜んで名医の到着を待ちわびていたが、ある夜、夢の中で自分の体内にいる二匹の小鬼が相談をしている話を耳にした。「緩という名医がはるばる秦から来るそうではないか。これはなんとか肓へ潜り込んでじっとしていよう。あそこは針も及ばず、薬も届かない安全なところだ。さあいこう。」と、二匹の小鬼が走り出したところで晋の王は目が覚めた。ほどなくして緩が到着し、晋の王を診察したが、しばらくして首を横に振り「残念ですが、もはや手遅れです。病根が既に膏の下と肓の上に巣くってしまい治療できません。」と答えた。近臣達は失望落胆して涙に暮れたが晋の王だけは緩の診察結果に感心し、「これは真の名医である」と言って、厚く礼をした。それから十日ほどして晋の王は亡くなった。という故事から出来た言葉である。