「義太夫節(ぎだゆうぶし)」の始まり
浄瑠璃の一派で、江戸時代中期の貞享年間に竹本義太夫によって語り始められた。『遊芸起源』のなかに「義太夫節の祖竹本筑後掾は、大坂東成郡天王寺村の農夫にして五郎兵衛といひしものなり。幼にして音曲を好み、その当時有名であった井上播磨掾について浄瑠璃を学びしが師の没後、その高弟なる清水理兵衛に随従して、伎倆やうやく上達し、なほまた京都なる宇治加賀掾の門にも入りて、その奥義をつたはり、はじめて京都四条河原の芝居に出て清水理太夫と号して浄瑠璃を語れり。これよりますます芸道を励み、いよいよ工風を凝らして井上の地節長きを縮め、宇治の地節短きをおぎなひ、両派を折衷して、ついに一流を語り出し、名を竹本義太夫と改め、貞享二年大坂道頓堀にて操り芝居を興行せり。これ義太夫節の濫觴(はじまり)とす」とある。
竹本義太夫画像(模写)
原画:東京大学駒場図書館蔵
画像の出典:アトリエ彩生舎