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「勧進帳(かんじんちょう)」の始まり

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「勧進帳(かんじんちょう)」の始まり
 有名な歌舞伎十八番の一つであるが、これは狂言作者の三世並木五瓶が能の「安宅」を歌舞伎化して七世市川団十郎のために書き下ろしたもので、その初演は天保11(1840)3月に江戸河原崎座で行われたのを始めとする。
 内容は、源頼朝と不和になった弟義経が、家臣を従えて山伏の姿で奥州へ落ち延びて行く途中、加賀国安宅の関において、関守の富樫左衛門の詮議が厳しく、先達の武蔵坊弁慶が南都東大寺の勧進と称して笈の中から往来物の巻物を取りだして勧進帳に擬して高らかに読み上げる。その後、山伏について種種の問答があり、ようやく窮地を切り抜けようとする最後に、義経の優しい姿を見とがめられたので、弁慶は主君の一期はここなりと、涙を呑んで金剛杖をとりあげて、さんざんに義経を叩いたので、富樫も武士の情にほだされて、一同を見逃してやるという筋書きである。
 しかし、これは支那の『南史巻二十三・王華の伝』に「廞(きん:王華の父)敗北して所在を知らず、華ときに年十三、軍中にありしが廞と相失す。沙門釈曇泳(しゃもんしゃくどんえい)にしたがひてのがる、衣襆(いぼく:衣類と頭巾)を提げて後にしたがはしむ。津邏(しんら:渡し場の番人)みなうたがう、華行くこと遅し、曇泳罵りていはく、奴子怠懈にして行くこと我におよばずと、杖をもって華を捶()つこと数十、衆すなわちうたがはず、此に由りてまぬがるることを得き」とあるのを焼き直して、曇泳を弁慶、王華を義経、津邏を富樫左衛門としたものであろうと言われている。

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勧進帳
画像の出典:歌舞伎辞典

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