「諱(いみな)」の始まり
忌名(いみな)の意味で、天皇・摂政・将軍など、身分の高い人の実名を避けて使わないことを言う。これは支那の周時代に始まった風習が日本に伝わったものである。
文献に見られるのは元明天皇の時に、若帯日子の姓が国諱に触れるというので、国造の姓に改められたのが最初である。次いで桓武天皇の時代には、臣子たる者は君諱をさくべき旨の詔(みことのり)があり、さらに平城天皇・嵯峨天皇の時代には、郡名の諱に触れることさえ禁じられ、孝謙天皇の時代には太政大臣・内大臣の名を忌み避けよとの命令があり、降って武家の時代になると将軍の名は勿論のこと、国守大名の名さえ家臣はこれを憚(はばか)ったものである。
また、明治元年(1868)10月には天皇の御諱の恵・統・睦の三字缺畫の制が立てられたが、間もなく明治5年正月27日になって、これは廃止された。