「角兵衛獅子(かくべえじし)」の始まり
越後国西蒲原郡月潟村(新潟県新潟市南区月潟)から出た郷土芸能であるから蒲原獅子と呼ぶべきであるのを、誤って角兵衛獅子となったものであると『嬉遊笑覧』にある。
角兵衛獅子の始まりは、江戸時代後期の宝暦5年(1755)頃、蒲原獅子が江戸に来て行い、それを角兵衛獅子と呼んだのが始まりである。
昔は関所を通る時に手形は必要でなく、踊り風俗のままで通ったという。毎年、6月24・25日の両日、村の地蔵祭には必ず月潟村に帰る習慣であった。
角兵衛獅子は12・3歳の可愛らしい子供が、紙貼りの獅子頭を頭に乗せ、頂に鶏尾の羽根を着け、身には素襖(すおう)の袖無しのようなものを着て、こしにはカルサン(袴の一種)のようなものを履き、胸には太鼓をかけて打ち囃し「獅子の子が生まれ落ちて頭ふる」と唄いながら舞うのである。
角兵衛獅子
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