「若返り法(わかがえりほう)」の話 その2
日本では大正9年(1920)10月に、九州大学医学部教授・榊保三郎がオーストリアのスタイナッハの若返り療法をはじめ、そのころ小説家として有名であった渡辺霞亭(わたなべかてい)が、いの一番に手術をしてもらったというので、それから「若返り」という言葉が盛んに用いられるようになった。
これはスタイナッハが1920年(大正9)に考案した「輸送管緊縛法」のことであって、つまり生命の根源を生殖腺の内分泌にあるとみて、この作用の衰えを回復することが不老のもとであると推定し、その内分泌を盛んにするために睾丸内の交叉腺を絹糸で結緊する手術を施すことである。その結果、若返りはともかくとして性欲の昂奮だけは極めて素晴らしく、被術者の中には色情狂になった者もある。
榊博士が、ある時、自分が手術した患者の白髪が、今日は黒くなるか、明日は黒くなるかと一日千秋の想いで待ちこがれていた。ところがある日、その患者の頭髪が漆黒になったのに狂喜して、医学教室の研究員を集めて若返りの効果てきめんと大変得意だった。ところが、それは患者があまり先生が待ちこがれているので気の毒に思い、こっそり白髪染めをしてきたことが後で判って大笑いとなった。
今はただ 小便だけの 道具なり (三面子)