「味噌(みそ)」の始まり
昔は「未醤(みそ)」と書いていた。すなわち未せないものは醤(ひしお)、未したものが未醤(みそ)であり、後に「未」に口偏を付けて「味」とし、また醤の字を「曽」と改め、さらに口偏を付けて「噌」としたもので、これは朝鮮の方言であった。『鶏林類事』には「密祖(みそ)」とあり、古くは「高麗醤(こまびしお)」と呼ばれていたようである。
奈良時代に高麗から製造方法が伝えられたとも、あるいは天平勝宝6年(754)2月4日に来日した唐僧の鑑真が伝えたとも言われている。
『倭名抄』に「未醤、俗に味醤につくるは転訛なるよし、されど味醤の字、三大実録に出たり、あるいは唐鑑真和尚の来たりし時、これを食して美なりとし、未曾有と嘆せしより此の名ありともいえり」とある。「味噌」と言う文字が文献に見られるのは『三大実録』に「味噌二合」とあるのが始まりで、室町時代よりもっぱら「味噌」という字を用いた。
古代には味噌をそのまま食したが、室町時代中期頃から味噌汁として用いるようになり、江戸時代になってから味噌漬が盛んに賞味されている。