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Channel: 原始人の見聞
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「豆粕飯(まめかすめし)」の話

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「豆粕飯(まめかすめし)」の話
 大正7年(1918)4月5日に東京市長となった田尻稲次郎は、熱心な豆粕常用食の実行者であったので、その当時は米価が高騰して食糧問題が騒がしいのを見ると、ただちにその対策として豆粕飯の宣伝を始めた。しかし、一般民衆の特に労働階級は「豆粕で腹がふくれるか」とか「豆粕を食って働けとはなにごとか」と言って、全くかえりみなかった。
 また、高畠素之は雑誌『実生活』のなかで「田尻市長は市民に豆粕をすすめた。市長はまさか市民の生活負担を加重する前準備として豆粕をすすめたわけではあるまい。けれども一方に豆粕をすすめて、他方に豆粕の他は食えぬような境遇の一端を市民に強制すると云うことになれば、それこそ市長の豆粕は豚を肥やして肉を取るの狡策となる」と冷評した。
 
イメージ 1
豆粕
画像の出典:山東萬寶集團
 

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