「鮪鮨(まぐろずし)」の始まり
鮨(すし)と言えば鮪(まぐろ)と思うほど、今では代表的になっているが、江戸時代には鮪(まぐろ)はあまり歓迎されず『江府風俗志』に「延享(1744~1748)の初め頃は、さつまいも・かぼちゃ・まぐろは甚だ下品にて町人も表店(おもてだな)住まいの者は食することを恥じる体也(ていなり)」と書かれており、全て下賎の者の食うものとされていた。
しかし、江戸時代後期の天保3年(1832)3月頃に、鮪が大量に捕れ、その処理に困り、ふと思いついたのが一番良い部位を撰んで鮨にすることにした。窮余の一策として考え出されたのが鮪鮨の始まりである。
当時は、赤身を醤油漬にし、脂身(とろ)は食べなかった。
鮪鮨
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