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Channel: 原始人の見聞
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「産児制限(さんじせいげん)」の始まり

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「産児制限(さんじせいげん)」の始まり
 人工的に産児を調製することは古くから密かに行われてきたが、大正9年(1920)3月5日にアメリカのサンガー夫人が来日し、公然と母体の保護と優秀児の育成のため産児制限の必要性を説いてから、広く論議されるようになった。
 次いで、大正11年3月10日に再び来日して各地を遊説したが、真面目に耳を傾ける者は頗る少なかった。
 昭和時代に入り満州事変が勃発すると「人的資源」が盛んに叫ばれ、厚生省が音頭取りとなって多産者を表彰し、「子宝部隊」と称してもてはやされた。しかし、第二次大戦に敗戦した後、人口の過剰と食料困難の悩みから脱出するために産児制限が考慮されるようになり、ついに昭和24年4月に厚生省より公に避妊薬の販売を認めたが、日本の避妊薬はほとんどインチキなものが多く、なまじ避妊薬を使用したという安心感が、かえって妊娠を奨励する結果となる恐れが多いと言われた。
 「産めよ殖やせよ」とおだてられて大いにはりきった多産者は、今さら元に戻すことは出来ず、泣きっ面に蜂のありさまで、お役人という者は、とかく罪なことをするものである。

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