「酒湯(さかゆ)」の話
痘瘡(とうそう:天然痘、疱瘡)を治すために行った日本独自の物理療法の一種である。
江戸時代初期から盛んに行われたとみられ、寛永6年(1629)4月に、三代将軍家光が痘瘡にかかった時、この酒湯をやろうとしたところ、乳母の春日局が「この方法は支那にも無いことだからよして欲しい」と反対した。その時、医師の岡本玄治が「西土に無くて本邦において行うことは頗る多い。今この良法を廃止して、それが例となっては大変である」と言い、さらに大言して「一体かかることは俗流の知るところではない、いわんや婦人においてをや」とやりこめたので、さすがの春日局もその非を悟って、酒湯をやらせたという。
酒湯の方法は、文化6年版の『痘疹致要』によると「水一斗、米糠(こめぬか)二升、酒二合二勺、塩二十三匁、赤小豆三粒、鼠屎(ネズミの糞)三粒、右の六味を合わせて熱熟湯とする。十七・八歳位の男女はこの分量で、一・二歳から四・五歳のものはこの半分位を用いる」とある。