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Channel: 原始人の見聞
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「先斗町(ぽんとちょう)」の由来

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「先斗町(ぽんとちょう)」の由来
 先斗町は京都市の花柳街の一つで祇園町と相対する町である。
 江戸時代の寛文10(1670)に、鴨川の西岸三条通りから四条通り一町下る間に、新しい町が出来て、これを新河原町と称し、四条通り以北を先斗町と言い、四条以南を西石垣(さいせき)と呼ぶようになった。
 初めは東側の鴨川縁にのみ家が建てられて、西側すなわち高瀬川方面には家屋がなかったので先斗(さきばかり)と言ったのである。これを何故ポント町と呼んだのかは明らかではないが、安土桃山時代に、この辺りにあった南蛮寺に因んだのではないかと言われている。それは、ポントスがポルトガル語の橋を意味するからであるという。また、ポルトガル語のカルタ用語である「ポント(先端という意味)」からきたという説もある。
 なお、先斗町が花街になったのは江戸時代後期の文化10(1813)からと言われ、この町で毎年5月に演じられる「鴨川踊り」は、祇園町の「都踊り」とならんで有名である。

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