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「氷室(ひむろ)」の始まり

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「氷室(ひむろ)」の始まり
 昔は製氷の技術もなく、冷蔵の方法もなかったので、奈良時代には「氷室」というものを作り、これに雪や氷を貯蔵しておき、夏になると取り出して珍重されたものである。
 この氷室は、地面を掘り下げて茅や萩を敷き、その上に雪や氷を蓄え、上は草を盛って覆いとした。それに徭丁、副丁、見役などの係官をおいて番をさせたという。
 当時には、大和・山城・近江・丹波などの諸国に21箇所の氷室があったと伝えられ、その起こりについて『日本書紀』によれば、仁徳天皇の62(374)5月に「闘鶏(つげ)の氷室を発見した」とあるのが始まりである。
 江戸時代の林道春(羅山)の『庖丁書録』に「六月一日を賜氷節と名づく、仁徳天皇の時六十二年五月に、額田大中彦皇子闘鶏と云う所に狩りに出たまいて、山に登り野中を見やり給いしかば、廣庵を作りたるようなるところあり、人を遣わして見せたまうに、窟(いわや)なりと申す。その時かの山の辺りに侍る人を召して問わせたまうに氷室なりと申す。皇子の曰く、その氷おば如何ようにして納めたるか、答えて申さく、土を一丈余り掘りて草をその上に葺きて茅萱などを集め取り敷きて、氷を置きたるに、氷ていかようなる大旱(おおてり)にもとけず、是をとりて熱月に用いるとなん。その時皇子この氷を仁徳の聖の帝に奉らせたまいければ、斜めならず叡感ありしよし、やまとぶみなどにも載せたり。是れ氷を献ずる初め也。」とある。
 
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氷室
画像の出典:ブログなんでもチャレンジ

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