「湯婆(ゆたんぽ)」の始まり
木製や陶器製または板金(トタン)や銅で作った保温用の容器で、中に熱湯を入れて躰を温めるために用いる物である。
その始まりは明らかではないが、晩年の徳川家康が駿府城で用いた「桑木地葵紋散湯婆」が徳川美術館に所蔵されている。したがって、安土桃山時代後期から江戸時代初期には既に使用されていたことが判る。
寺島良安が正徳3年(1713)に著した『和漢三才図会』には「太牟保(たんぽ)、唐音乎、按湯婆銅をもって之をつくる。大きさ枕のごとし、而して小口あり、湯を盛りて褥(しとね)の傍におく。もって腰脚をあたたむ。因って婆の名を得る」とある。